2004年11月13日

曲を作るということは

曲を作るということは、歌詞を書くということは、精神的に言うとヌード写真集を作るみたいなものなような気がするのです。

赤裸々に自分の内面が出てしまうような。

ただ、ヌード写真とは違うよなと思う点があります。
それは「自分の内面」とは何かを説明することが無いという点です。

どういうことかというと、ヌード写真の場合は脱いでいることが一目瞭然にわかります。
しかし作詞作曲の場合、その作品に描かれているものが「脱いでいる」状態なのか「水着グラビア」どまりなのか「普通の写真集?」どまりなのか、聞いただけではわからないということです。

つまりここを逃げ道に製作することが出来るわけですね。

と こ ろ が

これって逆からものを見てみると「自分がヌードになっているかどうかをわかりにくくする」という作業を日常的にしている可能性があるのです。

つまり、ある作品を聞いてもらったときにそれがヌードかどうかわかって欲しくない場合、二つの手段があるわけです。

一つは作品を改変し、水着(イチジクの葉でも可)を書き足す。
もう一つは普段からヌードを見せないことにより「本当はヌードが書いてあるのだけどそれを悟らせない」という方法。

ここまで書いて、「こんなことを日常的に故意にしてるわけないだろ」と自分で思いました・・・。

が、してるんですよ、してる。たしかにしてる。そうしないとモチベーションが保てない。

どういうことかというと「隠す」が主体じゃなくて「話さない」が主体なんです。
会話という手段を用いてそれらの「言いたいこと」を披露してしまうと作品を書く原動力のうちの一つ(全てではない)を失ってしまう気がするんです。

どうにもならない、どうしよもない、でもどうにかしたい。

私の場合、こういう葛藤を内面に持つことが一番の創作意欲になるんです。

こんなこと書くと「こいつは暗い曲ばかり書いてそうだな」と思われるかもしれませんが実際はそんなことない・・・はずです。

曲調として「明るい曲」って、実はそれゆえに儚かったり切なかったりして、結局「明るい曲」ではないことがあると思うんです。私はそんな曲が好きです。

好き故にめったに作れないんですが(笑)
posted by dai at 02:12| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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